守田敏也さん講演録 16〜 悲劇を通じて、世界の方向を変える

【「チェルノブイリ、そしてフクシマ」というキイワード
~痛みを吸収しようとすること~ 】

だからある意味、「チェルノブイリ」と「フクシマ」という言葉は、この混沌とした世界を変えていくための、ひとつのキイワードに転換しつつあるということを感じました。僕もこの協議会で発言させてもらったのですが、どういうことが受けるかというと、福島の人々の生活が、今、どうなっているのかということでした。さらにもっと受けたのは、日本の民衆が、この理不尽な事態をただ黙って見ているだけではなくて、さまざまな抵抗運動を起こしつつあるということでした。そのことを発表すると、強い共感を持って迎えてくれました。ヨーロッパからは日本の民衆の活動的な姿がなかなか見えないのですよ。民衆サイドにたったマスコミがないので、アクティブな姿はなかなか伝わらない。それは相互に言えることでもありますが、そのため、「日本人はおとなしくて、慎ましくて、理不尽なことがあっても押し黙って耐えているのではないか」と思われています。
ドイツのヘアフォルトというところに行ったとき、ドイツの女性が怒りながら「日本人はなぜあんなにひどい放射能のあるところで文句も言わずに黙って働いてるんだ」と言うのですね。直接には福島原発サイトのことをさしていたのですが、そういう時は「いや、理不尽な現状に対して、あちこちで文句を言っている。押し黙っているだけではない。たくさんの抗議行動を行っている」とお答えします。
また「あんな秘密保護法みたいなひどい法律を通されて、なんでデモの一つも起こさないんだ」ということに対して、「いやいや、たくさんのデモを起こしている」と語って、そういう写真を見せると「あっ、そうなのか、日本の民衆は黙っていたのではないのか。これほど抗議を行って、アクティブに活動しているんだ。ああ良かった」となるのです。シンプルです。そういう点での感じ方は、どこの国の人でも大して変わらないというか。

今、僕はずっとベラルーシのことを話しました。そのことの中からみなさんと共有したいことがあります。
ドイツの人々が素晴らしいと思ったのは、ベラルーシの人々が被ってきた痛みを自らのものとして考える中から、世界を捉えようとしていることです。痛みを通して、自分たちも担わなければいけない共通課題を見出している。そういう観点から「チェルノブイリ、そしてフクシマ」というキーワードを自分の課題としてとらえ、私たち日本人、あるいは日本に住まう人々の痛みを吸収しようとしてくれているのです。

その中で紡ぎ出されてきた国際的なつながりの中に僕は参加させていただくことができた。後から考えてみたら、あのような、ベラルーシという難しい国の国立機関の中を案内してもらうことなど、なかなか簡単に得られる経験ではないですよね。あれはドイツの人たちが20年間かかってコツコツと作りあげてきた信頼関係の上に成り立った、貴重な機会だったのです。
僕はゴメリでの晩餐会の時に調子に乗って、英語で「みなさん、平和のために断固として一緒に闘いましょう!」みたいなことを言ったのです。そうしたら後からドイツの方に「守田さんはすごく活動的で素敵だと思うのだけれど、ちょっと言い過ぎのところもあるわよね」と言われました。つまり「彼ら彼女らは国家機関の中枢に抑えられてる医師たちなので、その立場をもっと分かってあげてね」というのです。恥ずかしかったです。
ドイツの方たちはさまざまな矛盾も踏まえてベラルーシに通いながら、国の体制がどうであろうとも、チェルノブイリの事故で苦しんでいる人々を救おうとしています。救うのは侵略を行ったドイツ人の責務なのだ。自分たちはそれをやらずにはおかないのだというような思いを強く感じました。僕が見た限りでは、ヨーロッパの中でドイツが一番、チェルノブイリの問題で動いているのではないかと思うのですが、その根拠がここにあることを感じました。

それで僕はドイツの方と、次のような話をしました。
「あなたたちがゴメリに行って、顔が硬直して、心に痛みを感じている姿を見たときに、僕は深く感動しました。僕はそのことで、日本軍の中国やアジア各地への侵略のことを思い出しました。日本人とドイツ人は同じ痛みを持ってると僕は思います。同時に、ドイツも日本もものすごく酷い空襲をされたわけですよね。だから戦争の酷さを両面から知っている点でも共通しています」と。
実は、僕の母は東京大空襲のサバイバーなのです。父は広島原爆のサバイバーです。このことはベラルーシでもドイツでも何度も話したのですが、その意味で僕は、東京大空襲と、広島原爆の狭間から生まれてきた子どもであるわけです。
僕は「そういうドイツ人と 日本人こそが、正義の戦争なんかないということを一番知っています。だから一緒になってこの世から戦争をなくすために一緒に努力していきたいです」と語りましたが、向こうの方たちもとても深く共感してくれて、気持ちを分かってくれました。深いところでつながることができたと思うのですが、みなさんにもぜひこういう点を共有していただけたらと思うのです。

【悲劇を通じて、世界の方向を変える
~今回の旅の底流に流れていたこと~ 】

「チェルノブイリとフクシマ」は、世界の人々の間に共通に記憶された非常に大きな事故であり事件です。この悲劇を通じて、世界の方向を変えようという共通の意志が生まれてきている。核のない世の中はもちろんですが、ごく一部の金持ちが私有財産をどんどんかすめ取っていく世の中ではなくて、もっと良い方向に変えていこうという思いもそこには懐胎しています。ただし、具体的にどういう方向に進めばいいかグランドプランはなかなか見えてこない。だとしたら今、自分ができることをしよう。そのためには、チェルノブイリの子どもを一人でも救おうと、そのような切々たる思いで行っていることが、今回の企画の底流にあったことで、そこに触れることができたことが、僕にはとても大きなことでした。

☆☆☆☆☆☆☆☆

16回目、ここまでです。
お読みくださりありがとうございます。

15回目と今回の内容から。
他人の痛みを吸い込んで、自分のものにするということ。
共有、同化、シンパシー をもつ とか言えますね。
共感、よりもっと強いかんじ。

で、その痛みの根っこに迫る…
なんで彼らは痛いのか?痛みの原因をつくったのはそもそもなんなのか?
そのことを問いながら、
酷な現実を知ってしまって自らもはげしく痛みながら、
もうそんなことにならないようにする
そんな世界はいやなんだ
と強く心にたしかめる。
で、自分ができそうなことをなんかやる。
それが、世界を変える…変えていく…
ということなんかなあ

などと
考えました。

みなさんは、いかがですか。

次回は、トルコの 原発建設予定地のお話です。
やっぱ20回連続になりそうですね〜

まだまだ行きますぜ!スタッフ・ふたのiPadが炎を吹くだよっ。
よろしくお願いします。

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