川根眞也さん講演録連載〈第2回〉 2011年3月15日の体験

僕が測った放射線量          2011 年 3 月 15 日



こちらは私が2011年3月15日に測った空間線量のグラフです。
RADEX1503 で測りました。
こういった空間線量計がなぜ私の中学校にあったのかをお話しします。
だいたい、2011 年の段階で線量計を持っていたのは
チェルノブイリ原発事故のときと同じような事故が
日本でも起きるに違いないと思っていた方だと思います。
私も、チェルノブイリ原発事故のときに高木仁三郎さんのお話を
聞いたことがあります。原子力資料情報室に行ったこともあります。
そのあと教員試験に受かったので非常に忙しくなりました。
原発問題を十分考えることもなく、あっという間に過ぎてしまいました。
線量計も持っていませんでした。
ではなぜこれが私の中学校にあったのか。

現在の自民党政権の前の前の民主党政権のとき、
「2030 年までに日本のエネルギーの50パーセントを
原子力発電所でまかなう」という政策が決まっていました。
しかし日本というのは、ヒロシマとナガサキという
原爆の被爆体験を持った国です。
放射能に対してアレルギーがあるわけです。
それを払拭するために彼らが考えたのは、
小中学校くらいから放射線を測ってみて
「自然放射能が案外あるんだね、安全なんだね」という
刷り込みをさせようということなんですね。
それに私たち理科の教員たちを動員すると。
だから、学校の教科書を変えたわけです。
2010年の段階では新しい理科の教科書ができていました。
2012年からは、中学校の理科の教科書でも、
原子力発電所だけでなくベクレルやシーベルトを教える、という
ことが決まっていました。

そして私の勤務しているさいたま市の教育委員会は考えました。
教科書でベクレルやシーベルトを教えることになっても、
先生たちは忙しいからやらないに違いない。
しかし実験器具を与えれば、面白がって授業で扱うに違いない。
そこでさいたま市内58校の理科室に、
放射線を出す放射能鉱物…ウラン残土まで入ってるんですよ…
北投石(ホクトウセキ)、サマルスキー石などの放射性鉱物5点セットと
線量計をセットで配りました。
2010年の段階で。

私はそのとき理科の主任をしていましたので、
放射能鉱物と放射線空間線量計があるのがわかっていました。
ウランの近くには行きたくありませんでした。
教育委員会に行って「鉛の遮蔽体はないのか」と聞いたら、
「放射線量は非常に少ないので遮蔽なんか必要ない」というふうに
言いました。
しかし私は近づきたくないので、理科室に暗室があるので
その奥に閉じ込めておいたまま1年間、1 回も開けませんでした。
そして2011年3月11日に東日本大震災が発災し、
福島第一原子力発電所がすべての電源を喪失し、
その日のうちに1号機ではメルトダウンが始まっています。
3月12日11時36分、1号機が爆発しました。

13日がなくて、14日に3号機が爆発。
15日朝6時、2号機爆発。そして核燃料の入っていなかった
4号機も爆発しました。

私は全電源喪失になった時点で、
原発が危ない、万が一メルトダウンした場合には
さいたま市にも放射能がやってくると思っていました。
3月11日は金曜日でした。12日土曜日に爆発しましたが、
私の家もさんざんなありさまになっていて、
テレビは倒れその上に本がぶつかってテレビはアウト。
その頃はもう1号機は爆発していたわけですけれど。
13日日曜日は外に一歩も出ませんでした。
14日月曜日。
学校にも行きたくなかったんですが、
その翌日、3月15日が卒業式でした。
私は中学校1年生の担任だったので卒業式を準備する側です。
やむを得ず学校に行き、
ああここに空間線量計があったな、と思って
スイッチを入れたのが3月14日からです。
そのときは緊張感がなかったので1日4回くらいしか測りませんでした。
そして3月15日。
朝の7時から8時くらいにかけて、0.11、0.12 マイクロシーベルト/時ですね。
11時までは測っていません。卒業式だったので。
11時になって卒業式が終わったので測ると、0.23 に上がったんですよ。
先ほど言いました。
0.23 というのは、そうです、国の除染基準値になってしまったんです。
さいたま市中学校の職員室がです。

私はそのとき、線量計のスイッチを入れて2日目だったので、
0.23 という数字が高いのか低いのかよくわからなかったんです。
ところが午後1時から 0.2、0.51、1.02、0.90、
最後は 1.41 まで上がりました。
このグラフの、丸がついているのは川口市に戻る車の中で測った数値です。
ガンマ線というのは、2 メートルのコンクリートも平気で貫きます。
車の中にいようが、ガンマ線というのは入ってきます。


私はこのことを校長に告げました。
空間線量がどんどん上がってますよと。
3月12日に1号機は爆発していて、
14日つまり卒業式の前日には3号機が爆発して、
卒業式当日朝には2号機が爆発しています。

もう 1 人、女性の教員が
震災が発災してから4日目だったのでメールでニュースを
チェックしていました。
そしたらさいたま市で放射線量が通常の 40 倍になっているという
ニュースが流れました。
その女性の教員もそのことを校長に伝えました。
そしたら校長は自分で判断をして、
よし、今日の屋外の部活は中止にしよう、屋内だけにしようと。
そして3月19、20、21日。
今年と同じように3連休だったんですが、
これも屋外での活動はなしにしようと決めました。

同じ頃、さいたま市の教育委員会に、保護者から
「今日の部活動は外でやっていいのか」
「小学校のクラブ活動は外でやっていいのか」という
問い合わせが来ていたんですね。
ところがさいたま市の教育委員会は
「埼玉県は安全だと言っているし、文部科学省も何の指示も
出していないから通常の教育活動をやってかまわない」と言いました。
私の中学校の近隣の学校はほとんど、屋外で部活動をやってました。
それがかなり被ばくをさせたのではないかと思っています。

通常の放射線量はどのくらいか。
原発事故前の自然放射線量は、0.034 マイクロシーベルト/時です。
こちら、奈良のほうは空間線量は高いですね。
だいたい 0.05 から 0.06 はあると思うんです。
それからしてもこの異常な、1 マイクロシーベルト/時を超える空間線量が
2011年3月15日にあったわけです。

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(第二回 終わり)

大変生々しい記録です。
あのとき、関東で、学校でどうだったのか。
西日本にはなかなか伝わっていない事実ではないかと思います。
あまりのことに、何度読んでも胸が潰れそうな気がします。

ウランに近づきたくない、という生身の感覚に従った
川根さんが、授業での被ばくを防ぎました。
そして震災の混乱の中で危険を察知され、
測定器を適切に活用された川根さんに深い尊敬を抱かずにはいられません。
行動し、危険だと口に出すこと。
これは 勇気と活力 というものではないでしょうか。
そうありたいものです。
簡単なことではないのかもしれませんが。

一方で、卒業式のみならずクラブ活動にまで
ルーティンを求めた人々がいたこと。
非常事態だ、と対応するのではなく
大丈夫、とおそらくはっきりした根拠なく済まされたこと。
実際に起こっていたことを思うと
戦慄を覚えます。
まるでシュールな映画のようです。
でもそれが現実でした、
チェルノブイリ事故の8日後にメーデーの行進が催されたように。

次回、三回目は
川根さんが
起きてしまった内部被ばくにどのように対応していかれたか、
重要な人々との出会いについてお送りします。

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