川根眞也さん講演録文字おこし〈第3回〉 二人の恩師

こんにちは。
梅雨が明けたというのに雨がざあざあ降る朝です。
天候がほんとに不安定、夏風邪もちらほら聞きますね。
みなさまご自愛ください。

今日の回は
川根さんが 内部被ばくから身体を守るためにどうすればいいのかを
考えられていくさいに 大きな示唆を与えられたという二人の方々の
お話です。

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パーベル・ヴィドヴィチェンコさん


私が恩師と考えているのは、パーベル・ヴィドヴィチェンコさんです。
2011年の4月25日に来日されています。
ロシアの放射能汚染地帯から来て、話をしてくれました。
彼がなぜ来たのかというと、
実は2011年、日本に東日本大震災が発災し、原発震災が起きた年、
それはチェルノブイリ原発事故の25周年でした。
もともと原子力資料情報室が、パーベルさんを25周年記念行事に
お呼びする予定でした。
そしたら3月12日から日本の原発が次々に四つも爆発した。
本当に彼は悲しんでいました。
彼はロシアで「ラージミチ」という、チェルノブイリの子供たちが
安全なものを食べて健康を守ることの大切さを学ぶ組織を作っています。
子供たちに、自分たちの健康を守るためには村でとれた野菜や肉、
果物を食べてはならないと彼は教えているんです。

4月25日のその記念行事で誰も質問しなかったので、
私は彼を引き止めて質問しました。
彼はそのとき54歳ですが、原発事故は25年前ですから
事故当時おそらく29歳。高校の社会科の教員をしていました。

移住権利のある地域に住んでいたんですが、
政府はお金がなくなってしまって、移住ができなくなった。
それ以降彼は25年間汚染地帯に住んでいます。
パーベルさんに私は
「あなたは元気そうに見えるが、ではあなたはいったい
何を食べているのですか?」
と聞いてみたんです。
そしたら彼の答えは
「週1回、100 キロ離れたスーパーに行って食べ物、肉を
買って来るのです」。
これが彼の放射能防御対策でした。
実は私も学校給食を食べていません。牛乳も飲んでいません。
かみさんは原発事故当時
「もう日本人みんな被ばくしちゃったんだから」
と開き直っていたので、しょうがない。
私が毎朝 2 人分のお弁当を作って今も学校に持って行っています。

野呂美加さん


私のもう 1 人の師は、野呂美加さんです。
『チェルノブイリへのかけはし』という団体をやっておられます。
チェルノブイリ原発事故当時、彼女には小学校4年生の娘さんがいました。
「同じことが日本で起きたらどうなるんだろう?」
と彼女は本当に子供たちを可哀想に思い、なんとか救いたいと思って
いろいろ文献を調べました。
そしてドイツの資料に、保養といって、
放射能がまったくない地域に子供たちを連れていくということを
見つけました。
安全な空気、安全な水、安全な食べ物をとると
徐々にだけれど放射性物質が体から出て行き、
それによって健康を取り戻せる、という論文でした。

そして彼女も、原発事故6年か7年後から北海道の北見市へ
子供たちを保養に連れてくるようになりました。
周りからカンパを集め、
多いときは26人くらいの子供たちが生活しました。

こんなことを野呂さんは言っていました。
チェルノブイリの子供たちは、来たときにはまず目の下にくまがあると。
実はこのあいだ、埼玉県三郷市に調査に行ってきたんですが、
もしもみなさんが三郷市に行かれたら、住民の顔をよく見て下さい。
目の下にくまがある人が多いですよ。20 代、30 代、40 代くらいでも。
こういった症状はもう出ているのかな、と思います。

あと、チェルノブイリの子供たちは日本の子供たちに比べて
かけっこができない。心臓がバクバクして痛くなるんですね。
老人のような心臓になってしまっているんです。
食が非常に細くて、バナナ 1 本食べられない。
そういった子供たちを野呂さんはだいたい3週間くらい保養させます。
そうすると、2週間目くらいから子供たちの食が改善してきて、
1 人でバナナを7本も8本も食べるようになります。
そうなると二十何人いますから、
近所の果物屋さん3軒くらいのバナナを全部買い占めてこないと足りません。

そして、女性ホルモンが出なくなるからでしょうか、
髪がぜんぜん伸びない女の子がいる。
それが2、3週間たつと髪が伸びるようになる。
そして自分の祖国、ベラルーシのゴメリに戻る頃になると
日本の子供たちと一緒にかけっこができるようになっている。

私は2011年5月に初めて野呂さんの講演を聞きましたが、
野呂さんはこんなふうに言っていました。
福島市や郡山市、二本松市、伊達市など
1マイクロシーベルト/時を超えるような場所に、
チェルノブイリでは人を住まわせてはいないと。
2011年9月に私も郡山市に入りましたけれども、
木の下で2マイクロか3マイクロシーベルト/時ありましたね。
福島市もそうですよ。2013年に入ったときも、
駅前で 0.6 とか0.8 マイクロシーベルト/時ありました。
そして野呂さんはこんなことも言っていました。
チェルノブイリで奇形の子供たちが生まれたのは、
原発事故数年後ではない。
ピークは15年後。なぜ15年後なのか。
小学生、中学生の子供たちが15年間、何も気にしないで
ものを食べていたからです。
15年経って、
彼らが20歳、30歳の結婚適齢期・出産適齢期になって
第1子を産むと、体の中の放射性物質が全部第1子に行く。
そして奇形になるということですね。
放射能に汚染された食べ物を食べ続けていくということは
ほんとうに危険なんですね。

みなさん、胎児性水俣病をご存知ですか?
水俣病でも同じなんですね。
メチル水銀で汚染された魚を食べ続けたお母さんが
手が震えたり髪の毛が抜けたりといろんな症状があって、
水俣病の症状ですが、
そのお母さんが子供を産むと、子供には片足がなかったり
片腕がなかったりする。
または、水頭症といって、脳が水で圧迫されてほとんど成長しない。
そういう頭の形で生まれてきます。水頭症の子供は長く生きることはで
きません。数時間で亡くなったりします。

実はこの胎児性水俣病には非常に恐ろしいところがあります。
赤ちゃんを産んだお母さんの体は元気になるんですね。
つまり母体というのは最良の栄養素を自分の胎児に伝えます。
そのときメチル水銀も栄養素として胎児に受け渡すんです。
なので胎児が発育の段階で正常な細胞分裂ができなくなって、
プログラムを壊されてしまい、そして奇形で生まれてくる。
ところが第1子を産んだ母体は元気になります。
水銀が体から抜けますから。
第2子をつくると、そこそこ健康で生まれてくることが多いそうです。
私はチェルノブイリでも同じことを聞いています。
なので、長い長い闘いです。
まだ原発事故6年目です。
実はこれからが健康被害が明らかになってくるときなんですね。
これからも長く食べ物の問題を追って放射能を測り続けていく必要があります。

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(第3回終わり)

パーベル・ヴィドヴィチェンコさんの写真が
データをうまく取り込めなくて、
きれいな画像をみなさまにお見せできなくて残念。。
iPadで 大容量データをちまちまいじっているのでごめんなさい。
こういうことに長けたスタッフにお願いしてみるので
差し替えできたら、パーベルさんのお顔をご覧になってください。
強い意志と、深い慈愛を感じる瞳の方です。

ご存知の方も大変多いであろう 野呂美加さんもそうですね。
野呂さんのお顔を見ただけで うわあ。。というか
パワフルさと懐の深さに打たれてしまいますね。

こういう方たちが全身全霊を傾けて
こどもたちを放射能汚染から守ろうとし
内部被ばくしてしまってもあきらめずに
元気さと健康を取り戻すとりくみを長年続けておられる。
想像を絶する苦労があることでしょう。
そして、やがて こどもたちが
バナナをぺろりと食べて
笑って走り回れるようになった姿に
確かな手応えをつかんでこられたのでしょう。

彼らのお話に黙って耳を傾けたいと思います。

そして、川根さんも この方たちの後に続いていらっしゃると
いうことですね。

次回は学校給食の牛乳についてのお話です。

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